296我楽多製作工房週誌

カテゴリ:昭和元禄回想( 4 )

左派の無責任男達

この期に及んで思い出し、ひっぱり出して読んでみた。
この先、右へいっても左ひだりにいっても真っ暗闇じゃございませんか。

三島由紀夫 檄文 よりの1部抜粋
 
 
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
 政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
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左のほうが明るいようにみえていたけれど、お先真っ暗。
 
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by igaigapon | 2011-04-27 03:56 | 昭和元禄回想 | Comments(2)

甘納豆が食いたくなる話

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先日の記事のなかで「勉強し直して参ります」と、名人8代目桂文楽を引き合いに出したのはまずかった。たいして勉強してないのだから、「勉強し直す」といえるほどの身分ではございませんでした。
 1971年8月国立劇場小劇場で、黒門町の師匠、大仏餅を語っている最中に、話の先が出てこなくなり、しばしの間があって「勉強し直して参ります」の言葉を最後に、再び口座にあがる事がなかったという逸話は有名だ。この場面その昔TVで流され、「勉強し直して参ります」の前に「あいすみません」か「申し訳ございません」の言葉があったような気もするが、実際放映があったのか、見たと思い込んでの空想なのか、記憶が定かでない。
 そして名人文楽の「明烏」、これも聞いた事はあるのだが、実際にだったのか、テレビでだったのか、これも記憶が定かではない。が、どっちにしろこの名人芸、これは見れたのは幸せだったというほかない。
 うぶで堅物な若旦那を心配した大旦那にその道の指南をたのまれた源兵衛と太助、吉原に繰り込んだものの、源兵衛と太助の方は花魁に待ちぼうけを食わされ、手持ち無沙汰で、愚痴こぼしつつ、部屋に置かれた茶菓子の甘納豆を口に放り込みながら、朝まで待ち続けるのだが、とうとう花魁はやってこずじまい、甘納豆食い尽くしての手のひらのザラメをパンパンとはたき落とす、その仕草が実にリアルで、甘納豆の甘さが見てるだけで口の中にひろがってくる。実際に寄席でこれが演じられた時は、はねたあと寄席の売店の甘納豆があっという間に売り切れたという。
 柳家小さんの試し酒でも、酒飲みの所作のみごとな模写ぶりをみれば、たちまち酒が飲みたくなった。小さんの百面相や雷門助六の踊りも凄かったなぁ。
 学生時代落研の友達がいて、イイノホールの落語研究会に一緒にいったときの券がこの間昔の物を整理していたら出てきたが、入場料なんと、40年前だがなんと学生100円。安い値段で円生、小さんなんかの名人芸見てるというのは、オジンの数少ない自慢できる事の1つ。
 八郷ではうまいやつは売っていないが、笠間工芸の丘の売店では、種類豊富な結構うまい甘納豆が買える。今度、焼き物売るほどもってる(^^;)から、うまい甘納豆を買いに行こう。何も買わずに、試食ばかりで帰ってたんじゃ、それこそ「大門でとめられます」
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by igaigapon | 2006-03-01 23:46 | 昭和元禄回想 | Comments(4)

ホニャララ

  この間「談志の遺言、2005」を聞いた後もラジオを消さずにいたら、「ホニャララていうけど、どうしてホニャララって言うんだろう?」と後の番組のパーソナリティーをつとめる何かのアイドルの男の子が云っているのが耳に入ってきた.ついこの頃だがNHKTVのアナウンサーまで、「ホニャララ」を使っていたのにゃ驚いたね。いつのまにかホニャララはいずれ辞書にも載るような、いやもう載っているかもしれない立派な言語として認知されてしまってる。ネットとで検索するとあるわあるわ、なんと19000件か。この言葉が始めて使われた番組をカップ麺なんか食いながらあ阿呆面して見てたのは何年前になるのだろう.もう30年程?になる、そう考えると時の経つのはいかにも速い.この言葉を最初にオチャラケて発したのが誰だか知っている今の若者など殆んどいないと言う事か。
 しかしこっちとらもブログを始めてみてやたら出くわす「オフ会」というのを知らなかったね。ネットのIT用語辞典で調べて初めて意味が判った.ペンフレンドがどこかで待ち合わせて初めて会うようなもんだな、こりゃと納得。ペンフレンドが、メル友になり、いまやブロ友の時代なの?。その昔ペンフレンド時代にあったような事件がオフ会なんぞで起きたりしやしないのかねと思うのは、老婆心ならぬ、老爺心というべきか.ペンフレンド この頃まるで聞かなくったが、懐かしい響き。今や親指でバンバン、ラブメール送ってやがるのか。イョ、うらやましいね、まったく。字が上手きゃこっちとらも万年筆でラブレターでも書いときゃよかったが、生まれてくるのが速過ぎたか。携帯メールなぞ打とうにも、最早目も指も利かないぜ。しかしやっぱり手書きの方がなんとも粋だわな。ラブレターのデジタル化はイタダケないよな。老いらくの恋ということにでならなきゃ関係ないから、どうでも良いが。
 そういえば、ホニャララ創始者の出ていた「料理天国」もグルメ番組の走りだったわけだろうが、そのあとTVは食い物番組ばかりになった。それまで料理人の頭だって普通はコックさんとしか呼んでなかったのを、シェフに変えちゃったあれだけあちこち出ていた吉村万理もいまや「あの人は今?」になってとんと見かけないが、TVにしろデパ地下にしろ今や食い物の方は依然バブルの真っ盛りだ。ド田舎の此処じゃとんと御縁も無いけれど、きどったパティシエなんぞの生クリームのケーキより、どぎつく着色したバタークリームの硬いやつ、ラーメンも、鳴門と海苔とメンマのみの「○○そば」が妙に懐かしいこの頃だわね。ガキの頃から今のようにホニャララな物食ってちゃ先の楽しみないんじゃないの。
 こんな事思うのは全て年寄りのホニャララというのが「ぴったしカンカン」のようではありますが。
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by igaigapon | 2005-12-13 01:30 | 昭和元禄回想 | Comments(2)

円楽、志ん朝、談志

 ここ石岡八郷地区はTVの写りも悪く笑点もよくみれないので、円楽が脳梗塞で倒れたとのことをつい最近知った。志ん朝は既に逝い。
 その後、TBSラジオで「談志の遺言.2005」(木 夜9時)を聞いた。
だいぶ前から咽頭ガンを患っていることはTV等で見聞きして知っていたが、ずいぶん声に艶がなくなっているのに驚いた.
 談志は凄い,談志は凄いとよく聞いていた。学生時代早稲田の落ち研にいた我が友U君も談志グッズをネットで買ったりするほどの談志の大ファンだが,私はどうも,話を聞く前に人柄に拒絶反応がでて、ほとんど聞いた事がないので、どこが凄いのかわかりようも無かったが。やはり私の好みからすれば,まずは毛並みから来る江戸っ子の品、艶っぽさ、色気ただよう志ん朝だった。当代の正蔵にもそのような品があるように思う.
 しかし今回「談志の遺言.2005」を聞いて,何故談志が凄いというのかその一端が少しわかったような気がした。
 「談志の遺言.2005」をタイトルとしてあの状態での開き直りの放送は,常人には確かに出来ない.毛並みのよさなど糞食らえ,病気などテヤンデ-と言うその強さで語られる、ある点で反骨,破壊の精神での話が談志ファンにはたまらないのだろう.こんど図書館でテ-プを借りてきていくつか聞いてみるつもり。
 しかし学生の頃若手としてTV等で随分脚光を浴びていた落語家連中が,大御所の地位を占めるどころか、そろそろ鬼籍に入りつつあるなんぞは洒落にならない。志ん生は少しはやくに語れなくなったのだろうが、文楽、円生、彦六、小さんくらいの年までは同じように互いに意地張りながらでもそろって活躍してほしかったが。
 それだけ昭和も遠くなり,文楽、円生、小さんを生で観れた聞いたなんぞと言えるのは、時も過ぎゆき、己も年をとってきていると言う事か。
 談志,円楽両師匠の病からの回復と今後ともの活躍を祈ってやまない。
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by igaigapon | 2005-11-22 01:04 | 昭和元禄回想 | Comments(0)